ラファエルに言われて、自分の内側でもたしかにそうだと感じて同意したこと。

今はもうこれ以上「自分のこと」にフォーカスするべきではない。

 

今回の采配のおかげで、
記憶にある限りはじめて、「人」のこころを、本当に自分と分離のないひとつのものとして
見れるようになっていくための機会を与えられていると感じる。

 

内を見ずに外側に向かうということではなく、
その反対に、「人」のこころを、自分と同じひとつのもの、ひとつのこころのなかにあるものとして受け入れていくこと。

 

そっちへの可能性が垣間見え始めてから、
いかに自分がこれまで「分離した自分」のことだけを考えていて、
その「分離した自分」がよくなるためとかどうとかばっか気にかけていて、
その「分離した自分」のままでどこかへ向かおうとしていたのか、ということが実感されてきた。

 

そういうモードだったから、どこまでいっても、いかに深い経験をして、癒しのようなことが起こったとしても「分離した自分」のままで、どこまでいっても敏感に他者と比較して、勝とうとする、勝たないといけないというようになっていたんだな、というのも感じた。それはもう必然的に。

「分離した自分」のままで癒やされよう、救われたい、とやっている限り、競争は終わらない。

 


今は、「分離した自分」のことを気にかけたり世話をしたりすることを手放すほうが、
よほどこころの平安がもたらされるような予感がしている。

 

「分離した自分」のこころが、「今よりも癒やされて」「今よりもよくなっていくように」とかやってるよりも。