ウイルス
台湾のWHO関連のニュース記事の見出しで、
「ウイルスは国籍も人も選ばない」というのがあった。
これをみて感じたこと。
自我は何よりも愛を恐れてるのだとしたら・・・
何の区別もなく、分離を知らず、人をえらばず流れ込んでくる愛に対する恐れを、
こういう「国籍も人も選ばないウイルス」のようなかたちで投影せざるをえなくなってるのかな・・・と感じた。
たしかに今回の騒動をとおして、世界がひとつであることを(この世界のレベルにおいて)これまでになく実感している。
分離のなさ、別け隔てのない愛への恐れを、こういう歪んだかたちで表さざるをえないのが自我なのか。
これをきっかけにして、今までになく、普段連絡をとってこなかった人とか、世界の別の国で暮らしている人とか、その人たちへの気にかけというか、同じ存在としてみるような動きがこころのなかで起こっている。