スピリット、信頼、マインドトレーニング

今回の3泊の撮影旅。

この旅のなかで一貫して感じていたのは、
フランセスのYouTube「Trust Is Total」で教えられていた、
信頼についてのマインドトレーニングのパワフルさだった。

マインドトレーニングの力。
ただ起こってくることの「被害者」であることと、
マインドトレーニングの結果としての状態の
はっきりしたコントラストに気づかせてもらえた。

そして素晴らしいのは、
このマインドトレーニングは自分ひとりで知識や分析にもとずいて内側でやるようなものではなくて、
スピリットといっしょ、スピリット込みのものだと感じられたこと。


苦しい感情や思いがあるとき。
その解決(こたえ)は今この瞬間、
同時にそこにあること
スピリットから与えられていることを
「信頼すること」を選ぶことができる。

証拠が何もなくても、信頼することができる。
それが私たちの力。

(信頼とは「何も知らない」かつ「注意深くある」状態)

その信頼があるとき、それは
今この瞬間の全ての知覚を、
解決(こたえ)を教えてもらえるために使ってもらえるよう
スピリットに差し出している
ということを意味する。

(以上 by フランセス)


この世界を投影しているのは自我。
(ラファエルが強調して教えてくれたこと。わたしが投影しているわけではなく、自我が投影して、わたしがそれを信じ込んでいる。微妙な違いに見えるけど、けっこう大事なポイントと感じた。)

その目的は、巨大な無価値感の原因を内側=その原因が本当にある場所にみないことによって、無価値感を維持し続けること。

つまり、外側に原因をdisplace【移し替え】して無価値感をjustify【正当化】しようと待ち構えている。(by ラファエル講義)

トリガーとなる知覚が起きたとき、「ほらこれだ!!これがお前が無価値な理由だ!」と外側に指を向ける。

でも私たちが動揺するのは、誰かまたは何かが、
私たちが内側に見ることを拒んでいる信念を映し返しているときだけだ。(from インストゥルメントフォーピース)
つまり元々内側に「無価値だ」という信念がある。

 

そして「肉体がわたしたちだ」という自我の投影そのものが、
見捨てられ感、無価値感をJustifyするかっこうの投影といえるんだな、
ということを感じた。

なぜなら肉体は永遠でないので、かならずいつか「見捨てられる」。とにかく「見捨てられる」。100%「見捨てられる」。

(この話もコースのどこかにあったと思う。あなたが肉体であるという事実が、あなたが罪深く神から見捨てられたことの自我による証明だ、みたいな話?)

 

その見捨てられ感・無価値感が内側に上がってくることについてはallowして(許可して)いいけど、その感覚は「嘘に基づいている」と見ることがとても大事。それを真実として受け入れる(accept)わけではない。(by フランセス)


allowとacceptは違う。

そしてその苦しみの解決・こたえ、
内側にある無価値感への解決・こたえは、
今この瞬間に同時にすでに与えられていて、
なんと!この自我の投影の知覚を使ってそれを教えてもらえる。(スピリットは投影された知覚を使って教えてくれる。)

どこかへ、たとえば今はまだ見えないどこかとか内側とかへ
「解決・こたえ」を探しにいく必要はない。
(どこかへ探しに行く旅はいつまでたっても終わらない。「探しなさい、だが見つけてはならない」という自我のおしえの通り。 from コース)


フランセスの動画で語られていたこれが、
文字通りのことだったなんて!という喜びがある。

本当に、文字通り、どこかへ探しに行く必要はない。


今この瞬間にすべての解決・こたえが与えられているし、
その解決・こたえは今この瞬間の全知覚を使って教えてもらうことができる。

それを信頼することを選ぶことができる。

その力が私たちにはある。

今のこの知覚から離れてどこかへ探しに向かう必要すらない。
それと正面から向き合って、
そのすべてを超えていける。


そういう経験を
この旅のなかのマインドトレーニングをとおしてさせてもらえたのが
本当にありがたかった。

ありがとうございます。

 

youtu.be

 

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