「自分の力に付け加えたい」と「感謝に明け渡す」のコントラスト

れいさんから、前の勉強会のときにのりこさんが
「けんたは奇跡や撮影で受け取ったことについて語ろうとしない」と指摘していたときいて、
怒りと、お前が間違っているんだと相手を正したい、攻撃したいという思いが湧いてきていた。

でもさっきれいさんのブログで感謝が綴られていたのを見て、
たしかに自分はこんなふうに感謝をしみじみ感じたり表現したりはできないな、と思った。

感謝したくない、ということについてみてみると、
この心のなかで、何が起こっても感謝に明け渡したくない。
起こったことを、全部自分自身の力に付け加えようとすることにしか興味がない。
そういう状態なんだと気づいた。
「オレがやっとるんじゃけえオレは感謝する必要ないじゃろうが」という傲慢さ。

この狭さ、窮屈さ。

こっちが安全だと信じてしまってるんです。

先日の車返却時のドライブ中や、今日のコワーキング受付時のように、感謝とは対極にある怒り、被害者意識をつねに感じている。

思えば、父も自分のこの心の状態、傲慢さを映し出してくれているように感じる。

スピリットにこのことについて尋ねていると、
すべてを自分のことにしておこうとすることにまつわるこの怒り、被害者意識と、
感謝に明け渡すことの拡がり、あたたかみ、ホッとする感じのコントラストをみせてもらえているように感じる。

距離をおいている自分のためにメッセンジャーになってくれたれいさん、感じていることを率直に表現してくださったのりこさん、ありがとうございます。

まだこれまでに受け取ったすべてについて
感謝に自分を明け渡すことができていないけど、
スピリットにたすけを求めながら少しずつでも開いていきたい。