真実しか残らない

あると思っている自分のすべての問題、
過去にあったと思っているものも含む、すべての知覚、感情、決断、
それらすべてをスピリットに解釈しなおしてもらう、
ということについて、
フランセスのYouTubeで言われていたことを思い出した。

 

youtu.be(日本語字幕付き)

 

「あなたはまず先にスピリット(問題の外側にいる存在・真実の本当の源)を信頼する必要がある。
するとそこから
スピリットが知覚(解釈)するこの世界のすべてを信頼するようになる」

すると、

「自分の心の動揺がいかに正当なものなのかについて、自分自身や他の人々を納得させようとすることに心がフォーカスしなくなる」

すべての解釈し直し、ということについて、これを今思い出している。

 

これに関連するけど、デイヴィッドの言うように、誰かの言動の動機とかを詮索・判断するのはほんとに自我で、本質ではないどうでもいいことだという実感がある。

私が注意を向けたいのはそこではない。

(すべてプログラムで動いているだけのようにも感じる。設定されたプログラムの個別の内容に文句を言ったり、その背景について詮索するのはナンセンス。)


何にFuck It なのかについて内側に、目の前の映像の意味は何なのかについてスピリットに、たずねること。

自己概念BとCのドラマよりもAのズーンに注意を向けること。

自分のなかに無条件に前提としてきたあるあらゆる想定(この世界や他の人や自分というものについて)にFuck It といって、
今この瞬間の内側の欲求とスピリットの声に耳を傾けること。


感謝やおかげさまについて語れない、という指摘と、それについて内側に感じることについても同じ。

そっちへ向かうのが正しいとかこの状態は正しくないとかの判断はFuck It。

内側から湧き上がる、感じられるものから始めるしかない。

すべての想定にFuck It と言ったあとで、なお内側に湧き上がってくるもの、最後に残っていくものだけに注意を払いたい。

真実しか残らない、というアイデアが来た。

 

「真実だけが残っていく」

この言葉はルーシーのコメンタリーでラファエルが言っていたことを思い出す。

のりこさんがどこかで指摘していたことに関連して「自分から来たものではないと認めることが正しいので、そうすることで自分にたいする攻撃を回避すべき」という思考にも気づく。