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イエスちゃん、
金曜の午後にラファエル、のりこさんとコールをしたんじゃけど、
そんとき、
仮にけんたがリトリートに参加することになったらいっとかんといけんことがあるってラファエルが話したことがあったんじゃ。
それはわしがふだんから喉と胸のあたりに固まりがあって、
エクスプレッションセッションとかの場面で異常に深いうるさい呼吸をするときがあるってこと。
ほいでその音がマイクに大きな音をたてて、
他の人の話しとる内容が聞こえんレベルになることがこれまで何度もあったってこと。
ほいじゃけえ
もしけんたが今回参加することになるんじゃとしたら、
その対策をせんといけん。
たとえばエクスプレッションのときはけんたはその場におらんようにするとか。
そういう話をしてくれたんじゃけど、
それを聞きながら大きなかなしみが上がってきよった。
ほいでその感覚は、
前にこうすけさんに「口臭が臭い」っていわれたときや、
たなべさんに通訳のしゃべりが(たびたびどもるので)聞き取りにくい、
って指摘されたときと同じような感じじゃった。
ただ、ありがたいと感じとったのは、
同じことを繰り返しとるように見えるけど、
こうすけさんやたなべさんとの関係をとおして体験さえてもらえてきたことがあったからこそ、
今回のこの同じような悲しみの浮上について、
だんだんとスタックせんでええようになっとると感じられたことじゃった。
自己概念への掴み、執着がゆるうなっとるような。
さらにここ最近の日常のなかで経験させてもらっとったこと(父との関係やコースのレッスン、日常をとおして見させてもらえよったこと)も、
この「はずかしいことを指摘される経験」についての準備をさせてもらっとったように感じられたんじゃ。
すべてええように、タイミングもばっちりで手配されとるように感じられて、
ありがたいのうとなったわ。
イエスちゃん、こうしてちゃんと準備をさせてもらえながら、見るべきものを見させてもろうてありがとうの。
さらにラファエルがアドバイスもしてくれたんじゃ。
この胸の固まりとかそこからの呼吸のうるささとか(吃音とか臭さとかも)、自分ではどうでもできんことに感じられるかもしれんけど、それもあるレベルから見ればってことであって、
究極的にはわしらはそういうこと(肉体にあらわれとること)の被害者ですらないんやでって。
じゃけえわしらに何ができるかっていうと、
「この胸の固まりの背後にはどういう思考があるんや?それを見せてくれ」
(それと「この繰り返し感じるかなしみの下にはどういう思考があるんや?」も)
って
断固とした態度でスピリットにたずねること、そしてこたえを受け取る意志をもつことができるんやでって。
この胸と喉の固まりの背後にどんな思考があるんか?
こういうのはまったく尋ねてきよらんかった。
それをせずに「これはわしの問題なんじゃ」っつって
問題として温存しとったようじゃ。
これについてスピリットに尋ね続けるんは、
この「問題」があまりに近すぎるけえ
つねにスピリットにつながらんといけんようになりそうじゃ。
逆に言うと、
この「問題」をとおしてつねにスピリットにつながろうとすることが
できるようになるんじゃの、
そういうありがたい「症状」なんじゃの、
っていうようにも感じられてきよった。
これはなんか、すげえありがたいことのように感じるわ。
これを使って、スピリットとつながり続けられますように。
イエスちゃん、ラファエル、ありがとうの。