ひとりじゃない。

エスちゃん、
この前あきなさんのブログをみさしてもろうたら、
「相手を胸の奥におく」っていうことについて書かれとったんじゃ。

わしはそういう愛するパートナーみたいなんおらんけえ関係ないのうと思ったんじゃけど、でもあきなさんの書いとる内容にすごい惹かれてやってみようと思ったときに、なんでかしらんけどイメージされたんは、
中高時代の野球部のやつで、
最初仲良くなったけどすぐに無視されたり軽くいじめのようなことを受けるようになった奴のことじゃった。

そいつはすごいできる奴で、学年のなかでもトップレベルのリーダー的存在、人気者で、今思うとそいつとの分離が、わしの「この世界の人たちとの分離」を象徴しとったように感じられる、そいういう人じゃった。

そいつのことがどういうわけか浮かんで、ほいでわしはそいつとひとつでありたかったんじゃの・・と気づかされたんじゃ。

一瞬、「きっしょ」みたいなんも湧くけどの。

今そいつの存在を胸の奥において、
そいつとも離れとらんのんじゃと感じられるとしたら、
すげえありがたいことじゃのうと感じられるんじゃ。

それ以来、誰か思いつくたびに同じようにしてみよる。

そうすると、最初にまずすげえ違和感があって、ほいで自分が誰なんか、何をしよるんかわからんようになる。
「分離した私としてこう生きる」みたいなので動いとった人生が止まる感じ。

そうすると、たずねるしかできんやん、、ってなる。

ああ、これはなんかええかんじかもしれんのう、と感じた。

思いつく人を誰でもどんな人でも胸の奥に受け入れることができて、
さみしさがなくなる感じ、
「今までの自分=分離したさみしい自分」が機能しなくなる感じ、
そのなかで何もわからんようになって、たずねるしかないやんってなる感じ。

忘却の夢からの脱出の仕方を唯一知っているスピリットに耳を傾けるしかなくなる感じ。

 


今日、父とまた詐欺の件でぶつかって、
もうどうしようもなくなってきとる。

でもそれでも父や、父が愛しとった人たちを
同じように胸の奥に置いたときに、
自分にできることはなにもないんや、
なしてもらうしかないんじゃのうって、
そういう「大丈夫じゃ」っていう感じを感じさせてもろうとる。