痛々しさに触れる。

エス
この前しょうこさんのメッセージにたいして
「しょうこがマウントを取りに来ている」と知覚されて動揺したとき、

自分が自分に隠したいと思っている、
「自分こそがマウントを取る必要を感じて意識下でつねにそのようにしている」ことが
あぶりだされたように感じて動揺するように感じた。


インストゥルメントフォーピースにある、

「自分の意識の外に追いやろうとしているものを
誰かや何かが心に映し返しているときにのみ、
そのときにだけ、
私はその誰かや何かに対して動揺する」

まさにこれだと感じた。


私はマウントを取る必要を意識下で常に感じている、
その下には何があるのか。

その下には痛々しいほどの無価値感があるんだろう、
とうっすら感じられる。

この痛々しい無価値感に触れたくなくてマウントをとろうとしてるし、
この痛々しい無価値感に触れたくないから、
そのマウントをとろうとしてること自体も意識から隠す必要を感じている。

「別にマウントなんてとろうとしてねーよ」みたいに。

そうまでして触れたくないと信じている
巨大な痛々しい無価値感があるんだろうと、
うっすら感じられる。

まだそこに直面できていないと思う。

できるかぎり、そこに直面していきたい。

自分が心底恐れている場所へ着地させてあげたい。

エス、私ひとりでは恐れしかないのでムリです。

私にはあなたの助けが必要です。

その痛々しさに直面して着地していけますように、
どうか助けてください。


心の中の痛々しさに直面して着地していくために、
日常の具体的な場面で感じる痛々しさ、
そのような痛々しさを感じる日常の場面というのが
とても助けになるように感じます。

私のあらゆる時間を使って、
そこへ導いてもらえますように。