レッスン127

エス
昨日からレッスン127に入りました。

「神の愛のほかに愛はない」。

昨日仕事前に駅前でぼーっと人や景色をながめながら、
このレッスンが想像以上に未知の何かを感じさせてくれてるように感じた。

そうだ、たしかに今まで
「神の愛」以外の、自分なりの愛の代替物を自分で決めて、それを求めて続けてたんだな。


駅前でたたずみながら、
どういうわけか
赤ん坊のときからの自分の人生のそれぞれの瞬間を振り返るようなことがおきて、

そのそれぞれの瞬間のなかで

「神の愛のほかに愛はない」

ということを浸透させたい、
というようなことが起こった。


そうすることで、
これまでずっと胸の奥につかえていた何かが消えて
風通しがよくなるような感覚を覚えた。


今日も同じレッスンをやるようだ。

仕事での顧客対応をしようとしていて、
どうもエクスパンションしないな、と感じていた。


そのときにレッスンを思い出して、
仕事の顧客対応も
「神の愛のほかに愛はない」
を最優先させるところからだと、
何かスタート地点が変わって心の状態も対応もかわるような感じがした。


インストゥルメントフォーピースをやってると出てくるような、
たくさんの「〇〇であってほしい」という状況や人々への欲求、

その欲求によって叶えられる未来というのに
それぞれ別々の違った種類の「愛」(愛の代替物)を見てたんだな。

 

「愛に違いはない。
そのonenessに、愛というものの本質がある。」

 

仕事の顧客対応を例にあげると、
この対応によってこういう結果が得られてほしい、
そうすれば自分で決めた「未来の幸せ」(少なくとも今より悪化しないこと)につながるはず、
といったような自分なりの理論のなかでの

「愛の代替物」

を決めて、それを求めるためにやってるようなところがあったんだな。

そしてそのやり方がきつくなってきたと感じてる。
エクスパンションがなくて。


だからこういうふうに仕事を始めたいです。

「兄弟であるあなたと共有したい
神の愛で
あなたを祝福します。

あなたの愛であり、
私の愛であり、
みんなの愛である
神の愛のほかに愛はないということを学びたいからです。」

(奇跡講座レッスン127)

1時間に3回はこれをやろうと言われている。

思い出してこちらに意識を向けるとき、
何かがシフトするのを感じます。

エス、教えてくれてありがとう。