願望


YouTubeライブのときのみんなの開放感を感じながら、

自分はどこかスタックしているようにも感じていた。

 

 

次の日、映画「フリーガイ」を見に行く感じがしていたので、映画館に行こうと電車に乗っていた。

その途中、今使ってるシェアオフィスがある駅についたとき、

なんか映画より先に、今、このモヤモヤについて見る感じがした。


そっちを選ぶと見ようと思っていた映画の回には間に合わなくなるけど、

たずねてみると「降りる」感じがしたので、扉が閉まる直前に思い切って降りてみた。

 

降りてみるとやっぱりこっちでよかったみたい。

そのときはどうしていいかわからなかったけど
とりあえずメモを開いてジャーナリングするとかして向き合う感じがして、
シェアオフィスに向かった。

 


それではっきりしてきたのは、

前回のブログで書いたこと:

特別性をもった役割とかヒエラルキーのこの辺の役割というマスクを維持してその下に隠れ、自分の獰猛さを隠すために、
人に対してもオレのマスクを維持するための「劣った者」「オレより下の者」というマスクを押し付けていて、
目の前の誰のことも見ず、触れることもなく、知ろうともしていなくで、
実際目の前の人が誰なのか何なのか、まったく知らなかった、ということ。


これについて、まだ誰かに直接打ち明ける必要があるということだった。

 

welcomejwithintention.hatenablog.com

 

 

何人かの人を思い浮かべながらたずねていくと、えばちゃんのような感じがした。


今すぐがいい感じがしたので、30分くらいエクスプレッションをさせてほしいとえばちゃんに連絡すると、すぐに30分時間をとってもらえた。

 

つながらせてもらって、↑このことについて話す。

えばちゃんにたいしても、このようにして「オレよりヒエラルキーが下の者」というマスクを押し付けていて、まったくえばちゃんのことを見ていなかったと。

話しきって、ほんとうに聞いてもらえてよかった、助けられた、というように感じた。

 

胸を借りれたというか、懐を貸してもらえたというか。

スペースを保ってエクスプレッションを聞いてもらえるということそのものが本当にありがたかった。

 

 


話し終わるとえばちゃんが感じていたことをシェアしてくれた。

多分こんな内容だったと思う。

『けんたさんが話していたとき、ジーザスが子を慈しむ親のような感じで、
けんたさんに「大丈夫だよ、何も問題ないよ」と
頭をなでながら言ってる感じがしてました。』

正確ではないと思うけどこんなニュアンスのことをいってもらえた。

 

ありがたかった。

 

 

懐を貸してもらえたようなあたたかさ、ありがたさを感じていたなかでその話を聞いて、

そのジーザスの姿はえばちゃんの中にあるように感じられてきて、
そのことを伝えた。

 

そして自分が今までやってきた、
目の前の人を見ずに触れずに、自分の特別性を維持するためだけのその人用のマスクを押し付けてきたこと、
それを本当にやめたいと思いながらzoomの中のえばちゃんを見ていると、

夕陽の光に照らされたえばちゃんの顔のその奥に、

美しい存在が存在している、その存在感が感じられてきた。

 

えばちゃんに対しても、どんな人にたいしても、そのような美しさを見たのは、感じたのは、初めてのように感じた。

 

この体験は一瞬だったかもしれないけど、

目の前の人にそれを見ていきたい、、それが願望なんだ、、、、

と、本当に感じられた。

 


忘れることもわからなくなることも何度もあるかもしれないけど、

この体験をさせてもらえたことが本当にありがたかった。