垂れ流しながら

 

『シェア会中にあった粗相(音声が入ったまま用を足した)は「自分で下の世話もできなくなって、皆にさらされる」という感じの、自分のなかでも究極的な恥の感覚だったのですが、自分がかっこつけることで維持しようとしてきた世界が崩壊しました。
 
そして自分のあり方のコアにあった「人を蔑む」「本当に自分さえよければいい」「冷酷さ」に向き合わざるを得なくなりました。
 「かっこつける」「勝ちたい」というとまだ聞こえはいいけど、「蔑む」「下に見る」「上にたとうとする」でした。
 
あらゆる人にたいしてこういう態度をもっていて、みなさんにたいしてももっていました。だから誰に対しても素直にありがとうといえないという。
 
英語の翻訳や、今朝のスピークアップにしても、人を蔑んで下に見る、その材料に使っている部分がたしかにありました。
本当にごめんなさい。
そしてこのことを表現する機会と場所を与えてくださって、ありがとうございます。
 
この送信もふくめ、何を言っても、何をやっても、くりかえしくりかえし人を蔑み自分だけが優位にたつための材料につかってやろうというのがでてきます。下を垂れ流しながら。
ほんとうにどうしようもありませんが、これからもどうかよろしくお願いします』

一度、この闇はみんなの目の前にこういうかたちではっきりと出す必要があった。
じゃないと、これまでのでっちあげられた「良い生徒」みたいなイメージのなかではこの先やっていけないと感じていた。

「ああこれは自我の声だね」というのと、本当にちゃんと闇をみるというのはぜんぜん違う気がする。これも当事者意識というか。本当にこの暗黒をちゃんとみきってから、それでもわたしはこの自我ではない、ということを受け入れていくこと。
これはぜんぜんあっさりした軽いかんじではなくて、大きなクワみたいなものでちょっとずつぐわぐわと土のなかを掘り進めていくような感じ。

 

ホーリースピリット、聖霊、イエス様、

どうかたすけてください。