今日も垂れ流し
自分が見ている世界に起こっているようにみえる現象にたいして何か苦しみを感じているとき、攻撃して勝とうとしている自我のごうまんさが浮上していてるのに気づくけど、
そこで、ごうまんさんが打ち砕かれた粗相体験、下の垂れ流しを介護されながら世界中に配信されるレベルの恥体験がいまのところすごく役立っている。
勝とうとしてもできない。かっこつけてこの世界に存在しようとしてもできない。どうしようもない。そんな「わたし」を受け入れるしかないところにいると、笑って何か掴んでいたものをあきらめることができる。
そしてこの攻撃して勝とうとしている世界は、自分のなかの復讐心がかたちをとったものでしかなく、すべてが滅び、死にたえるようにしてつくっている。そのなかで攻撃の思いでいっぱいにしている。
そのような世界にいると思っていることそのものが地獄なので、この世界で生きていこう、なんとかよりよい生をおくろうと思っているうちは、まあそうなるわな。苦しみの連続。
この世界は、下を垂れ流しながら要介護状態で世界にさらされる、そんなのが当たり前の世界。自分の復讐心がかたちをとったものにすぎない。
そんな世界でうまくやろうとしたところで、それが何になるのか?
この朽ち果てていく死の世界をつくっている復讐心をこえたところにある、本当の声に、真実に、耳を傾けるしかやることはないんではないか?
どうか、たすけてください。ありがとうございます。