不思議なお金

ラファエルへの寄付の呼びかけをみて、
お金が足りなくなるから寄付したくないという知覚が起こる。
売上が落ちてることや、税金が思ったより高くなりそうなのもあって。

でもかたちとして寄付するのがただしいというのも違う。

 

で、中心にある真の願いにつながりたくて、
↓この図に照らし合わせながら、instrument for peace をやっていく。

 

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まず、「足りねーよ!」と叫んでる知覚部分には、ただスペースを与えてあげる。
いいよ。行くとこねーんだろ?
と。

 

スペースを与えている静かなわたしが息づいてるのが感じられてくる。

そして、スペースを与えながらその知覚部分を受け入れていくと、
この知覚が「本当のこと」「現実」、そして「原因」ではないんだな、、と感じられてくる。

ただの結果にすぎない。
中心にある分離の欲望と欠乏の信念から必然的に導かれた結果。
この知覚そのものが悪いわけではないし、除外されるべきものでもない。
それはただの結果。

そのように見えてくる。

(instrument for peace のステップ3のあたりが、この感覚に関係してるかんじがする。「この事象のなかで私が演じている役割を、罪悪感なしに見ることができるということを学びたい」)

 

そして、instrument for peaceを使って中心に戻っていく。


そこで私が本当にもとめているものは何か?
この分離と欠乏の信念が間違っていること。
奇跡。
よろこび。
めぐみ。
恩寵があたえられていて、受け入れること。

 

この真の欲求から、真の自己のために、そのために貢献してくれている誰かのために、本当に与えたいというところから、与える。

 

そうして入金すると、
たしかにつながった感覚があって、
また、けっしてこのお金が自分にとってどうでもいいものというわけでもなくて、
さっきまでめぐりめぐって自分の口座にあったけど、
そこまでには様々な人が関わってくれていて、
みんながそれぞれにたいせつなお金をどこかのタイミングで使いながら、
今結果として自分の口座にあったたいせつなお金、
そのお金がまた何らかの役に立つために、羽ばたいていった・・・

 

そんな、ただ自分とラファエルとかにとどまらない、
この世界すべての人が象徴的にかかわってくれているもののように感じられた。

ありがとうございます。