Forgiveness is the healing of the perception of separation

朝目が覚めて、その日の目的のことを考える。

Forgiveness is the healing of the perception of separation。

ということは、わたしの知覚のなかにいるすべての人やものごとが、このforgivenessというものに参加してる、鍵となる、たすけになるものであり、そのたすけが必要なものでもある。なにひとつ誰一つ除外されない。

I forgive someone or something 、みたいなものではまったくないんだな。。

 

ゆるし=分離の知覚の癒やしのために、わたしのすべてを世界にささげる。

どうやればいいのかもまったくわからないから、たずねる。

そのためのガイダンスは何なのか?
兄弟姉妹は誰なのか?

 

ようやく、「ガイダンスをたずねる」ということが、真のよろこびに直結してるということが、だからこれはやらないといけない義務みたいなものではなく、それじたいがよろこばしいことなんだ(だからむしろ自発的積極的にやりたくなる、やらずにおれなくなる)、ということがつながってき始めている。