スピリットの本領

スピリット、ジーザスに本領を発揮してもらうためには、
自分がもっている欠乏の信念と、それによって自分が感じている苦しい感情、ひどい状態、なさけなさ、そういったすべてをそのまま、自分で解決しようとしたり、他のことに気をそらしたりカバーすることでいい状態のふりをしようとしたりせずに、その苦しい状態をありのまま忍耐して、それをそのままジーザスのもとに差し出す。


ジーザスを招き入れて、ジーザスの目線のなかにそれらすべてを入れてもらう。

 

そうすると何が起きるか?
わたしにはわからないけど、それこそが完全な愛だけが真実だと知っている、スピリット、ジーザスにその本領を発揮してもらえることなんだ、というインスピレーションがあった。

 

自分の力でいい感じの状態になろうとすること、そうしないと生きていけないっていう考えを、あまりにも無意識に優先していたんだな、、。

それは、スピリット、ジーザスの力を拒否してるということ。

 


その逆に、「この世界」で感じる、感じる可能性のある、あらゆる最低最悪の感情、だめだめさ、それをつくっている信念を、その最低最悪を感じたまま、ありのままにスピリット、ジーザスのもとに差し出せばいい。


私には何が真実なのかわからないけど、そこに差し出したとき真実だけが残る。

 

「自分がこの世界でいい感じの状態であれるよう、スピリットにたすけてもらう」

というスタンスは、なんというかスピリットの本領とはかけ離れたお願いの仕方のように感じられる。

 

「自分がいい状態である」とか、そんなのはどうでもいいことなのかも。