愛さないことを選んだ

yondemillで0円で与えられた奇跡講座を読みすすめていると、初めてかのようにこころに入ってくる言葉がいくつかあって、それを書き留めたりしている。

 

昨日は「自分はどういうわけか愛さないことを選んだに違いない、そうでなければ、恐れが生じることはありえなかった、と自分に言いなさい」(2章セクション6段落7-2)
という言葉が深く入ってきた。

 

自分はつねに深いところで恐れている。(葛藤も恐れの表現のひとつだという話もあった)
そのような日常をおくっている。
その理由はこれか、というのが入ってきた。

 


いままでこれをつなげて実感できたことはなかったけど、
「神からの分離の決断」「もしかしたら神から離れて自分でやっていけるんちゃうかな?という思いつき」
というのは、「愛から離れること」「愛さないという決断」「愛さずにやっていけるんじゃないか?という決断」だったってことか。。。

 

 

愛さないことを選んだ=神から離れることを選んだ


神から離れることを選んだ=愛さないことを選んだ

 


ここから神=愛にたいする裏切りという罪悪感を抱くことになって、神=愛に殺されるという恐れなしではいられなくなった。

 

そしてこの肉体の世界をつくり、この恐れを保持したまま、その恐れを麻痺させ抑え込みながら、神=愛の代替品による満足を追い求めている。

 

愛さないことを選んだままで。

 

愛さないことを選んだままなので、愛がなにかわからないので、兄弟のことも認識できないでいる。

兄弟のことも、取引対象である肉体としてしか見れないでいる。

 

「愛さないことを選んだ」ことの代償の大きさを感じることが、今必要なように感じている。

 


「自分はどういうわけか愛さないことを選んだに違いない、そうでなければ、恐れが生じることはありえなかった、と自分に言いなさい」(2章セクション6段落7-2)

という言葉に従って、そうしたい。