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昨日の勉強会でのりこさんがこのようなことを言っていたと思うのだけど、こころのなかにあるものを、あいまいにしておかない、うやむやにしておかないのが本当に大事だと感じる。
自分のハゲてみすぼらしい容姿への思い、信念。
稼ぐ系の人にたいして感じること、想念、信念。
自分の仕事についての不安、想念、信念。
相手にされないという知覚について感じること、思い、信念。
自分のなかにある、「いろんな肉体をもった他者」にたいするさげすみの思い、信念。
絶え間ない裁きの思い。
わたしは自分が裁いているすべてが実在してると信じている。
すべてその根っこのほうには、「愛さないことを選んだ」ことからくる罪悪感と恐れがある。
こういう「自分」がいる、ということと、恐れはワンセット。
だからもし恐れから自由になりたければ、この「自分」のこころのすべてを、聖霊とかジーザスにささげて見てもらう必要がある。
彼らに判断してもらう必要がある。
この前のリビングミラクルズのオンラインリトリートでフランセスがいっていた。
最初のころ、自分が抱えてるいろんな問題にたいして、
「聖霊が神からの答えだ」というコースのおしえを、すごく「実践的なものだ」と感じたと。
そしてすべての「問題」に適用していったと。
「聖霊が神からの答えだ」ということを「実践的だ」と感じたことはなかった。
これが何よりも実用的なことなのか。
こころのなかにあるものをあいまいなままにしておかず、
すべて明晰に見ていきながら、神からのこたえを受け入れる。
なんとなく「こういう思いや信念があるなあ。あるんだろうなあ。」というレベルであいまいなままにしておかず、ちゃんとそれに対する神からのこたえを求めて受け入れるところまではっきりさせる。