やり残し感(攻撃をやめたい)
昨日晩飯を食べたあとくらいに、
今まで何度か経験したことのある、
あの死を予感させるような気持ち悪さを感じ始めた。
物理的にはそれほどキツくなかったけど、
精神的に力が入らないような感覚。
このまま死んでいってもおかしくないような感覚のなかで、
心のなかの「やり残している部分」が浮かび上がってきたように感じた。
それは「攻撃し続けている(し続けてきた)」ことにたいして
それをやめたい、あやまりたい、という感覚。
攻撃をし続けているまま
攻撃を信じ続けているまま、そこに同一化し続けたまま
攻撃を正当化し続けたまま
死ぬわけにはいかない、という感覚だった。
キツい感覚のなかで、
何人かの人を思い浮かべながら、
ごめんなさい、ごめんなさい、ゆるしてください、
そういう言葉を内側で繰り返し続けた。
この「やり残し感」を解消して死にたい。死ねる。
そういう感覚だった。
ごめんなさい。
ゆるしてください。
言葉を繰り返しているうち、だんだんとやり残し感は解消されていった。
攻撃をやめたい、攻撃の正当化をやめたい、それについて謝りたい、と思えるのがありがたい、やり残し感の浮上だった。