罪は実在するんか?


エスちゃん、
今仕事をきっかけに関わりをもたせてもらえるようになった人ら、
彼らのような人たちにたいしてわしがずっともっとった罪悪感がまた浮上してきよる。

本当に大変な思いをして子供を生んで、
無事に生まれた赤ちゃんを見ながら夫婦で涙を流す、、とか、
夫婦で協力して子育てしているというようなエピソードを聞くと、
劣等感や、自分は人としてやるべきことをやっていない、価値がない存在じゃという罪悪感がわいてくるんじゃ。

前、台湾で日本語を教えることになった夫婦に会ったときも同じようなものが湧いてきとった。

「こういう自分」には罪があるとみとって、それをなんとか隠さんといけんように思っとる。

 

ちょうど今日のレッスン101がこんなじゃった。

「もし罪が存在するなら、幸せは幻想ということになる。」

「あなたには今日の練習時間が必要だ。
この演習は、罪は実在しないと教える。

そして罪から生じるに違いないとあなたが信じている一切は、
原因がないので決して起こることはないと教える。」

「神の意志が私に望むのは完全な幸せだ。
罪は存在しない。
罪は結果をもたらさない。」’


罪が実在するんじゃとしたら、幸せは有りえん。

罪はたしかにあるんじゃという考えが、
気づかんレベルでわしの全世界の知覚の礎になっとるのが感じられる。

今こうして人との出会いをとおして、自覚できるように浮上してきとる罪への信念、
それを持ち続けるんか、どうするんか、はっきりさせていきたい。

罪が実在しとるという狂った信念が間違っとるっていうことを自分に教えたいし、
思い出させていきたいし、
そのためにスピリットにたすけてほしい。

幸せが実在するか、罪が実在するか、そのどちらかしかありえんのんじゃ。
ゼロか100か。

罪が存在せず、罪はなんの結果ももたらさんのんじゃということを知りたい。