感情が教えてくれる。

エス
今日のレッスン130

「2つの世界を一度に見ることはできない」
It's impossible to see two worlds

これも、今日とてもタイムリーに与えてもらえたと感じました。
ありがとう。


「私が見てるものはすべて、私の思考を反映している。
私が見たいと選択したものを反映している。
私の価値観にもとづいて、見たいと選択したものを。」

「人は、自分の心が価値を付与していない世界を見ることはありえない」

おお。。
そうなんやな。

 

「恐れを抱けば必ず、恐れている対象は見えなくなる。
なぜなら、『恐ろしくて見たくないと思えば、それは見えなくなる』ということが、恐れが用いる武器だからである」

「こうして愛には知覚が伴うが、恐れは存在するものを闇のうちに隠してしまう」

 

恐れたら、恐れの真の対象は隠されて見えなくなるってことなんか・・・・!

 

 

「それでは、恐れはいったい何を世界に投影できるのだろうか。

闇の中で、実在する何を見ることができるというのだろうか。

真理は恐れの陰に隠され、残っているのは、真理だと想像されただけのものである。
しかし恐怖から生まれ出る盲目の想像の中の何が、実在のものでありえるだろうか。」


「あなたが見ていると思っている一切を作り出したのは、恐れである。

あなたが信じているあらゆる分離、区別、そして数限りない相違が、
この世界を作り上げている。

だがそうしたものは存在しない。

愛に敵対したものがそれらをでっち上げただけである。

しかし愛に敵はありえないので、それらには原因がなく、実存もなく、もたらされる結果もない。

それらが価値あるものとして大切にされることはあっても、実在しないものであることに変わりはない。

そうしたものを探し求めることはできるが、見つけることはできない。」

 

「今日私たちはそれらを探し求めることはしないし、
見つからないものを探して一日を無駄にすることもしない。」


「どのようにしても重複することのない二つの世界が、両方とも一度に見えるということはありえない。

一つを探し求めるなら、もう一つは消滅する。

一つしか残らない。

この二つがあなたの選択の範囲であり、
それを超える決断というものはない。

実在か非実在か、
それだけが選択できるすべてであり、それ以外に選択肢はない。」


「今日私たちは、妥協が不可能なところで妥協しようとはしない。

あなたに一つの世界が見えているということは、
その対極にあるもう一つの世界と同じようにそれ自体の中で完結しているその世界を、
あなたがすでに選んでいる、ということの証拠である。」


「今日、私たちが学ぼうとしているのは、
あなたが一度に二つの世界を見ることができない、ということだけではない。

今日のレッスンはさらに、
あなたに見えている世界は
その世界をみるあなたの考え方と一致するものである、
ということも教えている。

その世界は、一つの感情から生じて、あなたの目に見える一切のなかにその源を映し出すのだから、
地獄も天国もそれぞれがひとまとまりのものとしてあなたに訪れる。」

 

二つの世界のうち、私が選んだ考え方に一致したほうが私の目に映る。。

 


「実在するものだけを探すことに専心する間、
私たちは無数の無意味なものごとを区別することはしない」

 

無意味なものは区別しなくていい。。。

 


今日の具体的な場面のなかで心に響いてきた言葉を書き出そうと思ったら、
ほとんどの文を書き出すことになってしまった。

それくらい今日という一日のなかで響くことが多かった。


具体的には、
渋谷駅直結のスクランブルスクエアというとこに服を見に行ったのだけど、
そこの高級っぽい雰囲気に、

「自分は場違いだ」
「ここにいる価値はない」
「きっと笑われるに違いない」
「自分の年やかっこうはどうみえてるだろう」
「とてもここにいる人達と対等ではありえない」
「新宿のほうが俺にはあってる、というか新宿じゃないと買い物ムリ、ここではムリ」

こんな心の声が上がっていた。

そういうふうに自分が見ているいろんな違い、
たとえば渋谷と新宿とか(新宿ならもっと落ち着けるとか(笑))
ここにいる人と新宿にいる人と蒲田にいる人とか
そういう違いをみることと恐れはセットになってた。

そしてレッスンにあったように、
恐れを採用してるので真に存在しているものが見えなくなっていて、
存在していないものばかりを、つまり違いのあるものばかりを見ている。

レッスンにあったように、
それらに価値を置くことはできるけど、どっちにしろそれらは実在してない。。

そしてこの見方はレッスンにあったように
「それ自体で完結しているワンセットのもの」。

もう一つの同じくそれ自体で完結しているワンセットのものとは完全に相容れない。


渋谷スクランブルスクエアで動揺を感じながら、
そういう世界をみとるんやなあ、、というのを感じよった。

実在はしてないけど自分が価値を置いとって(だから見えちゃう)、
恐れをベースにしとるがゆえに恐れに隠されて真に在るものが何も見えなくなっとる、
違いや区別の存在する世界。

ほんとうに「見えてない」んだな、、、と感じた。


まさに
「真理は恐れの陰に隠され、残っているのは、真理だと想像されただけのものである。」
という感じや。


さらにそれぞれひとまとまりで完結しとる見方(二つの世界)っちゅうのも入ってきて、
ひとつは恐れという感情がベースになっとって、
もうひとつには恐れがないんや、、、、
っていうのが入ってきた。

 

「その世界は、一つの感情から生じて、あなたの目に見える一切のなかにその源を映し出すのだから、
地獄も天国もそれぞれがひとまとまりのものとしてあなたに訪れる。」

 

ああ!!

じゃけえインストゥルメントフォーピース(平安へのツール)で、

まず何を感じとるか?感情をしっかり感じるのが決定的に重要なんじゃ。

なんでかっていうと、
自分が今見とる世界がどっちの世界なんか、

「自分が今見とる世界によって感じとる感情」からはっきり知ることができるから。

 

「その世界は、一つの感情から生じて、あなたの目に見える一切のなかにその源を映し出す」


もし感じとることの奥とかベースに恐れがあるんじゃとしたら、
そのとき見とる世界がこっちの世界(恐れで実在を見えなくしてないものに価値を置いてないものを見てる世界)じゃとわかる。

この、ひとつの自己完結しとるひとまとまりの世界を見とるんじゃと。

そのことを深く感じ取ったら、そしたら、
もうひとつ別の世界、
今見とる世界とはまったく相容れん別の世界、別の見方を知っとる聖霊に、
別の選択肢、本当に存在してるものを見ることについて教えてもらうことができて、
本当じゃない方の見方、
恐れベースの見方をすべて手放していくことになる。。


なんかうまく説明できたかどうかわからんけど、

ああ!!なるほどそうんなんか!!

じゃけえ「知覚についてどう感じとるかをゆっくり深くみていくこと」が大切じゃったんじゃ・・

というのを感じた。

絶対に相容れない二つの世界のうち、
どっちの世界を自分が見とる(つまり見たいと思っとる)んかをはっきりさせるため。

はっきりさせて、きっぱりと訂正をお願いすることができるようにするため。

 


そして渋谷スクランブルスクエアの外に出てから、
しばらくここで感じた動揺を振り返りながら、
平安へのツールっぽいことを心のなかでやっとると、
たびたび思いがけず笑いがこみ上げてくることが起こった。

あやしい人みたいだったんで、スマホみてウケとるフリをしたけど、

平安へのツールをさかのぼっていっとると、とうとつに笑いがこみ上げる感じがあった。

なんだかありがたい。

心が自由に解き放たれるのがわたしのよろこびです。

エス聖霊
明日もよろしくお願いします。