君の名前で僕を呼んで。 Call me by your name.

今見たほうがええ感じがして、昨晩、

君の名前で僕を呼んで」(Call me by your name)
を見た。


何かが変わったと思う。

 

ずっとしかめ面で見ていた。

こんな風な見方をした映画は初めてだった。

同性愛にたいする嫌悪感。

嫌悪感と恐れがひどくて、序盤でほんの一瞬、死に至ると思えるような吐き気を感じた瞬間があった。


でもだんだん、その嫌悪感の向こう側に向かっていくにつれ、

感じられてきたのは、

自分が「男」とか「女」とかという概念を使って

いかに愛をブロックしてきたかということだった。


内側で、何かが復活した感じがした。


Call me by your name。

お互い自分の名前で相手を呼び、愛し合うオリヴァーとエリオを見ながら、

あの嫌悪感は自己憎悪だったのか、

肉体を超えた、ひとつである自分自身にたいする自己憎悪だったのかと感じられた。


男とか女とかいう概念を使って、
そういう部分に触れないように完全にフタをしてきた。


そしてお互いを自分の名前で呼び愛し合う二人を見て、

これはそんな自己との和解のように感じられた。


深い和解。


自分がずっと忘れていたもの。

 

気づいたら、

Call me by your nameという言葉を

ずっとイエスに向かって言ってるように感じられてきた。


あなたと同じだと教えて下さい。

 


今日外に出て歩いているとき、

いつもどおり駅前の広場でたたずんでいるとき、

「人たち」に出会うのが初めてかのように、

道行くすべての人にたいして

Call me by your name

と言いたい気持ちになって、そのように心で言っていた。


今まで「女」とか「男」とかいう概念で完全にフタをして塞いで、

まったくあなた方のことを見ていなかった。

あなた方のほうに向いていなかった。

 

ちゃんと触れたい。

そして

Call me by your nameと声をかけたい。

あなたとわたしには違いがないということを思い出したい。

自分のカラのなかの幻想に閉じこもっていたくない。


もし何かが上がってきてパニクりそうになっても、

エスがあのたたずまいで「大丈夫だよ」と言ってくれているのを思い出せる。


エス聖霊

どうかそうあれますように。