解決はこの世界にはない

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山を登る準備についてはひろがりを感じ続けていて、
からだのコンディションを整えたり、
道具について調べたり、
実際に高尾山に練習に行ってみたりすることにも
広がりを感じていた。

昨日、練習で2回めの高尾山に行ってきた。



身体のコンディション的には、
はじめて登ったときよりも全然いいように感じていて、
「前回よりはラクにスピーディにのぼれるはずだ」というような期待が心の中にあるのに気づいていた。

でもやっぱり肩に負担のかかる簡易的なリュックで7kg背負って急坂を登るときは
けっこう息が上がる。

 




自分は成人したときくらいから
喉・胸のあたりに大きなつっかえるもの、圧迫感を感じていて、
それがずーーーっととれないというのがひとつの人生の問題のようになっていた。

 

息を切らしつつ山を登りながら、
この胸の奥の圧迫感が自由な呼吸をさまたげているように感じられてきて、

「この胸の奥の圧迫感を解放せん限り、富士山には登れんのんじゃないか!?」

という思考がでてきて、
なんとかしてこの胸の奥の圧迫感という「問題」を解決せんといけん、、
というふうな思考になっていった。

 

でも歩きながらふと、
「問題の解決はこの世界にはない」
ということが思い出された。

 

ああそっか!

忘れとった。

 

それがなんで解決になるんかはわからなくても
ガイダンスに耳を傾けることにしか解決はないんだった。

そのことを思い出したとき、
そういえばこの「山を登る」という行動についても、

「前よりコンディション上がってるから、スムーズに速く登れるはず」
「これくらいのペースで進んでいかんと」

というふうに
自分の思考にこだわりながら
自分の思考をたよりに
登っていたことに気づかせてもらえた。

 


ここで立ち止まることができた。

 


そうして、
この胸の奥の圧迫感という「問題」についても
その解決はガイダンスに従うことにしかないことを思い出しながら、
今歩いているその一歩一歩について耳を傾けながら登る・・
というふうに変化した。

 

一歩一歩の踏み出しについて、たずねる。

 

それがなんでこの「胸の奥の圧迫感という問題」の解決になるんかは自分にはわからんけど、
たしかにこれが「問題」の解決になるんじゃというふうに感じられた。

 

一歩一歩について尋ねながらすすむということをやっていると、
「今」だけがあるという感じがして、いいように感じた。

 
そのあとは
「この胸の奥の圧迫感を解放せんと高い山には登れん・・!」
というような思考はどっかに行ってしまった。

 

 

そして下山しているとき、
どういうわけかとても気持ちよく歩けている感じがして、

思わず笑いがこみあげて、

ありがとうございます、、

という言葉が上がってきて口にしていた。

 

 

 

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