聖霊は今この瞬間つねに最高を与えてくれている

 

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ファンクション2日めは
じゅんこさんが原宿駅まで三脚を持ってきてくれて、

原宿駅から二人で15分くらい歩いて三脚を返しにいくというファンクションだった。

 


原宿駅なので、
けんたが執着と憧れをもってやまない、
若くてかわいい、きれいな女性がそこら中を歩いている。

 

そんな中、
中年のおっさんおばさん二人で大きな三脚を持ち、
しかも祈った結果、「はじめてのお使い」みたいに二人でひとつずつ取っ手をもって歩くという、
このことにまつわる恥ずかしさやジャッジの思考が当然のように上がってきていた。

 

 

でも前日のプライベートソートの打ち明けがあり、
さらに

「オレのプライベートな思考、プライベートな世界を全世界、聖霊にすべて公開したい!」

という心底からの欲求に触れられていたおかげか、

どういうわけかそれらの思考が上がってきてもあまり嫌な感じではなく、

ただただそれを全世界に公開するんや!という意志を感じつつ歩きながら、

それらの上がってきた思考がどんどん空に向かってささげられていくように感じていた。

 

その感覚は未知のように感じられたけど、広がりを感じるものでもあった。

 

そしてどんな思考が上がってこようと、受け入れることができる、、というようなうれしさのような感覚もあった。

 

 

 


三脚を返し終わって、とりあえずファンクション完了となったとき、
このまま帰るのかどうなのか、まったくわからない感じだった。

 

そこでまた二人で祈る。

 

「とりあえずどこかカフェのようなところで、
先にファンクションにまつわる報告をしたほうがいい感じがする」
となって、

こっちの感じがする、と二人が感じた方向へ歩き始めた。

 


竹下通り方面へ向かう道で分岐がある場所へきたとき、

自分は立ち止まらずに竹下どおり方面へ行こうとしていたところに、

じゅんこさんが立ち止まってくれた。

 

そこでじゅんこさんが「こっちな感じがする」といった方向に
気になるような、惹かれるような、看板が見えた。

 

 

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立ち止まる前にパッと見たときにも惹かれていたかもしれない。

でもスルーしてしまうところだった。

じゅんこさんが立ち止まってくれたおかげで、
「あの看板が気になっている」と口に出して言うことができた。

 

結局そのお店に入ることになって、そこで起こったことはじゅんこさんのブログに書いてあるとおり。

 

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自分はじゅんこさんほど深く感謝の思いに満たされるということはなかったけど、
お店の人とのコミュニケーションも含めて、
すごくあかるくやさしい何かに包まれたような時間だった。

 

お店の名前「HOLO FAMILIC」の由来となった、馬車の幌や月がやさしく家族をつつんでいる、そのイメージそのままに。

 

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その後、そのお店で教えてもらったおしゃれカフェの
空が見えるテラスでランチを食べながら、
また前日のような打ち明けさせてもらえる時間があった。

 

このときに特に出てきたのは、
「この学びの道において、お前らではなくオレこそが役に立つものであるのだ!」
というやつ。

 

自分が大きく影響を受けている映画「アイランド」のコメンタリーについて、これをどうやって延長していいのか迷っている・・
というのをじゅんこさんにシェアさせてもらったところから、暴露されていった。

 


「オレがこのデイヴィッドのコメンタリーに目をつけたんや」
「めっちゃお前らの役にたつじゃろうが」
「オレのおかげでお前ら一歩さとりに近づいたやろ」


こういう思考を持ちながら、延長しようとか考えていた・・・。。😅

自分の中にこういう思考はない、というフリをしながら。😭

 

 

恥ずかしかったけど、打ち明けさせてもらえてよかった。

 

こういうプライベートな思考をぜんぶ表にあげさせてもらえて、

初めて、

さらにその下に隠してある悲しみとか泣き叫びとか絶望にも触れていけるんだと思う。

 

 


ランチの時間、他に何が話されたか具体的にはあまり覚えていなけど、
前日のテラスでの時間と同じく、

すごくゆたかでありがたい時間のように感じられた。

 

 

 

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このランチの時間も、あのお店での時間も、
さっきの帰り道の分岐点で「こっちに行く感じがする」というインスピレーションにしたがった結果与えられたものだった。


ランチを終えて、同じ分岐点の場所に戻ってきたとき、
さっき来たときとはまったく違う現実にいるように感じられた。

 

 

 


帰り道、竹下通りを二人で歩いていたとき、

さらに強く

「プライベートな思考をすべて全世界に、スピリットに公開したい。捧げたい」

と感じながら歩いていた。

 

竹下通りを歩いていたり、道端にたむろしている大勢の人たち。

そのなかを歩きながら、何か今までと全然ちがう感覚を感じていた。

 

自分という個別の人間の境界がなくなって、目の前の大勢の人たちのなかに溶け出していくような、広がっていくような感覚だった。

 

 

 


この2日間、じゅんこさんと二人でいたおかげで、
一人だと立ち止まらないところでも立ち止まってたずねる、
ということをやらせてもらえたと感じる。


そしてそうやってたずねさえすれば、
聖霊がつねに今この瞬間与えてくれている最高のなにかにチューニングをあわせることができる、、

ということを実地で体験させてもらえたような2日間だった。

 


じゅんこさん、聖霊、ありがとうございます😌🙏😌