攻撃や死が不可能な場所

このまえももこさんにエクスプレッションをお願いした。

 

その頃触れていて、今もとどまっているレッスン167

There is one life,and that I share with God



このレッスンの中で言われてる
one life に溶けたいという欲求のような感覚を感じていて、

それと同時に
その欲求を感じたときにあらわになる

one lifeに溶けるのを防ぐように自分で作った
大きな壁みたいなものもはっきり感じられはじめていた。

 


トリガーでいうと、
兄弟のブログで、

あきなさんとかじゅんこさんとかはちゃんと聖霊の声をきけるんやな

ほいで導かれてみんなと溶け合ってつながっていってるんやな

とか、

ももこさんもはっきり導きを聞けるし、
しかもパートナーまでおってめっちゃリア充やんけ・・

 

こういうような嫉妬・羨望。

 

そういうふうに

「この道でデキるやつ」
リア充的な意味でデキるやつ」
(あるいはデキてないやつ)
(記憶のなかにあるすべての人に対してもこういうレッテルを貼っとる)

「ダメな自分」(あるいは勝たんといけん自分)

との間に絶望的な壁を築いとるのが、よりはっきり感じられてきた。

負けて恨むか、打ち負かして勝ち誇るか、どっちかしかなくて、
絶対に溶け合えん。


エスの言うone life に溶けたいという感じはあるのに、
こんな俺じゃ絶対にムリや。


このどうしようもなさ、
自分で作ってしまった壁のどうしようもなさをエクスプレッションさせてほしかったんだと思う。

 


エクスプレッションを聞いてもらって、
本当に聞いてもらえるだけですごく助けられる、と感じていた。


そしてリア充ももこにたいして羨ましいと感じていると話していたとき、
そういう「羨ましいんだよ!!」とか「俺にはムリだー!!!」とかの心の叫びが、
何か中心の肝心なところを避けるためのもの、
真ん中にあいた大きな深い穴に落ちないように、その穴の周辺で叫んでいる叫び声のように感じられてきた。

何かがはぐらかされてる感じ。


ももこさんにスペースを保ってもらいながら、
その真ん中のほうに触れたいと感じながら、
感じていると、

「しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね」

とノートに書きなぐっているみたいなのが感じられてきた。

 

あああああ、、、、

こんなのがあったんや、、、、

と感じた。


これがあると話しながら、

この「しねしね」言ってる感情?思い?みたいなのを感じていた。

すごい根源的な攻撃のような、憎しみのような、

自分という人間にも他人という人間にも「しねしね」言っている。

「しねやおらこるぁあああ!!!!!」って言ってる。

 

 

そうやって「しねしね」言っている何かを感じ続けていると、あるときから、

「いくらでもしねしねいえるんや!!」

「いくらしねしね言っても、だれも死ねんのんじゃ!」

「ああああーーーー、しねしねしねしね思う存分いってよくて、なんでってだれも死なんのんじゃ!!」

「いくらしねしねしねしねいってもよくて、無効なんじゃあああああ!!!!!!」

 

というところに触れた。


これがめっちゃありがたかった。


なんかいままで言葉で聞いてきたことが、本当なんじゃと感じられたような。


死は存在しないとか、攻撃はありえないとか、そういうやつ。

 

自分のなかの根源的な攻撃性みたいなものを、兄弟に支えられ安全と感じられる空間のなかで
余すことなく思う存分出してみて、思う存分触れてみて、
初めてそれが不可能だったんだ、リアルではありえなかったんだとわからせてもらえるのか、、、と感じた。

 

ここに触れられた感覚が超絶ありがたくて、笑けてきた。

 

ここに触れられたら、この世界であると思っとるどんな問題もありえんやんけ、と感じた。

 

 

何度も忘れたり離れたりするだろうけど、

ここに帰ってきたい。

ここに帰ってきたいと思える場所にふれさせてもらえたのがありがたかった。


ここからなら、one lifeに溶け去ることもできるかもしれないと感じた。


聖霊、ももこさん、ありがとうございます。