証拠
この3年間が、自分にとってなんだったのか?を振り返る機会を与えてもらった。
こういう機会がないと、振り返ることをせんかったな、と思った。
振り返ることはとても違う体験をもたらしてくれた。
ファンクションをとおして、
ファンクションをとおした仲間との関わりをとおして、
ひとりでは到底不可能なほど
愛を阻んでいる自己概念とか恥とか闇のようなものが浮上しては解き放たれていった。
(まだまだあるけど)
そういう3年間を振り返るなかで、最終的に上がってきた感覚・・
この3年の経験のすべてが、
自分が今どんなにだめだめな人間のように見えたとしても、
神様に愛されているんだということの証明になってる。
神様を信頼してもいいんだ、神様を信頼できるんだということの証明になってる。
今がどんな闇だらけでダメダメに見えても、
ちゃんと完全な愛へと導いてもらえるんだということの証明になってる。
そういうことだったんだ、と感じられた。
世間のいろんな人と比べてダメダメな人間だと信じてる。
その信念を盾に、人々と自分のあいだに壁を築いていた。
でもそんなダメダメな人間のように見える私にも、
この3年間が与えられたんだな。。。
神様に愛されていて、信頼できるという証拠を与えてもらったんだな。
この認識が、
私が人々とのあいだに築いていた壁を溶かし去ってくれるように感じる。
この証拠を心底受け入れたい。