「神のみ実在する」を完全に受け入れるために、仲間と関わりあい、プライベートな思考感情を根こそぎ露わにしていく。

リトリートを終えていちばん強く感じてるのは、

なんかひっくり返ったという感じ。



「時間のない、完全無欠のスピリット(の世界)」

というのは言葉では聞いてたけど、

初めてその本当の実在感を感じさせてもらえた。

(書道のとき、じゅんこさんの存在をとおして。)

 

 


本当にそっちが、そっちだけが実在なんだ、という感覚に、

ほんの少しだけど実際に触れさせてもらえた感。

 

今まではこの知覚の世界しか知らなかった。

このなかで、方向もわからずあがいていた。

 

 


書道で書かれた言葉たちが波打っているシーンを目にした一瞬、

時間がなく完全無欠な神の世界、神の実在みたいなものがほんとうにほんとうにあって、

そこと「わたし」とのつながりは本当に断たれていないのかもしれん、、、、、

と感じられて、より、その時間のない完全無欠な何かの実在感が感じられた。

 

自分にとって「神」という言葉の意味が変わった。

 

 

「みんなここへ行こうとしとんの!!???」

「この時間のない、完全無欠の世界・・的なところへ行こうとしとんの!!!??」

と、びっくりしたような気持ちになった。

 


「目覚める」とか「神の元へ戻る」とか「神」とか「スピリット」とか「聖霊」とかいろんな言葉はあるし、聞いてきたし、口走ってもきたけど、

そういうゴールが本当に実在するものなんだ、というかそれだけが実在するものなんだ、、、

という感覚に初めて触れられて、みんながそこに行こうとしとることにビックリした。

 

今更かもしれんけど。。

 

 

そしてそのために、仲間同士の関わりあいというのがあるんじゃな、ということも

今までとはまったく別のリアリティをもって感じられてきた。

 


本当はそっち(神)だけがリアルだからこそ、

今まで「これがリアル」だと信じてきた

人間たちがいるこの知覚世界にまつわるどんな思考・感情が

上がってきても露わになってもまったく大丈夫。



それをせず、

この知覚世界や人間関係にまつわる思考や感情を隠すことによって、

「このプライベートな思考・感情は、重要な、本当のことだ」
「だからこの知覚世界も人間関係も重要で、本当のことなんだ」

とやってたんだ。

それをやめていく。

 


そのために仲間との関わりあいが必要。

その関わり合いの中で

感じること、出てくる思考を隠すことなく露わにしていく。

 

そうすることで初めて、

それが本当には本当ではなかったんだ、、、

ということを受け入れていくことができる。

 

そうすることで初めて、あの時間のない完全無欠の世界だけがリアルな実在なんだ、
ということを受け入れていくことができる。

 

 

この知覚世界がリアルだという信念、

私とはこの体で、私ではない他の別々の体がたくさんあって、争ったり一緒になったりしながら生きて死んでいくことがリアルなんだ、という信念、

こうした信念にまつわる

あらゆる感覚感情思考を、

根こそぎ表に出して、実在のもとにさらしていく必要がある。

 

それをやっていくための、仲間との関わり。

 

 

お互いに隠してきた個人的な思考や感情を、

関わり合いのなかで露わにしていく。


それらに「実在の力」はなかったんだと確認し合うために。



実在の力は

本当に実在する

「神、スピリット」だけに属するものなんだと受け入れていくために。

 

 

神、スピリットだけに委ねる生き方に、

実在するものだけに委ねる生き方に、

本当に変わっていくために。

 

(リトリート中にエクスプレスした後、のりこさんがDavidがこんなことを話していたよ、と教えてくれた。

「あなたは実在するものだけに心を与え、実在するものだけにすべてを委ねるようになる」)