マインドをフルに与えること、与える先、その目的。


仕事を目の前に置いて、こころがそっちに向かわんな、、と感じながら、

こころの使い方を完全に変える必要がでてきたのかな、、と感じている。

 

リトリート前に強く感じてたように、


「マインドをフルに【スピリットから来ているもの、ファンクション、ガイダンス】に与える」

というところから始めないと、にっちもさっちもいかんようじゃ。

安全地帯という限界を突破して、
分離した肉体というアイデンティティから解放されるためには。

 

 

(↓リトリート前)

welcomejwithintention.hatenablog.com

 

 

俺がこの仕事をやるんじゃない。
俺がするのは、マインドをフルに【スピリットからきているもの】に与えるっていうことだけか。

(「ごいせんせーーーーい!!!!!」と叫びたくなる)

 

 


リトリートが終わって、ファンクションの波がやんで、

「自分の」仕事が始まったように感じていたけど、

変わりはないんだ。

 

リトリート関連のファンクションがなくても、

同じくスピリットから来ているもの(ガイダンスやインスピレーション)に、
完全にフルにマインドを与えることができるし、

そうせんと逆に苦しくなるんちゃう?っていう感じ。

そうせんとこの分離した肉体というアイデンティティは突破できん。

 


しばらくそこからこころが離れていたけど、

やっぱこうするしかないという感じ。

ありがとうです。

 

 

具体的に今後どんな仕事との付き合い方、仕事のやり方になっていくのかはまったくわからんけど、

このことを決断しとく(「マインドをフルに(スピリットから来ているもの、ファンクション、ガイダンス)に与える」ことからすべて始める。限界を突破して分離した肉体というアイデンティティから解放されるために。)

というのはいい感じがする。

 

その決断のもとに、目の前にある「仕事」をスピリットにすべてまるごと与える。

慣れんけど、そのほうがなんかワクワクするな、と感じる瞬間がある。

 

目の前の仕事も、

分離した肉体というアイデンティティを突破するためにスピリットに使ってもらえるんじゃとしたら、

なんかワクワクする。

 

具体的にどうやるんかはまったくわからんけど。

 

 

 

(追記)

「マインドをフルに【スピリットから来るもの】に与える」

ことについて。

 

リトリート前はおぼろげな言葉によるイメージでしかなかったけど、

リトリートのあの書道のときに、

スピリット的な触感(時間がなくて、完全無欠な何か)に触れさせてもらえてたんだ!!

と思い出した。

 

 

つーことは、

「スピリットにマインドを与える」っていうのは、

あの時間のない、完全無欠な何か的なやつにマインドを与えるってことなんか。。。

 

まずは自分の考えはすべて脇において、

マインドをフルにあそこに与えて、そこから何が展開していくのかを見ていく(仕事にしても何にしても)(自分ではまったく想像もできない)、、ということなのか。

 

あの具体的に触れさせてもらえた感覚が残っていて、

ああ、あそこに、あの世界に、マインドを与えていくのか、

と、より具体的な力のようなものを伴って感じられるのが、ありがたい。